朝三暮四の意味とは?使い方/用例を例文で!由来や成り立ちも解説!朝三暮四は、学校で習う言葉で、朝三暮四を使った例文を考えてくる宿題もあった人もいたと思います。それでも、由来や成り立ちまでも習わないと思いますので、意味を紹介してから、使い方/用例を例文で簡単に紹介していきます。
『朝三暮四』の意味とは?
朝三暮四(ちょうさんぼし)は、『目先の差別のみにこだわって、全体としての大きな詐術に気づかないこと』『うまい言葉で人をだますこと』『(命をつなぐだけの)生活、生計』のことを意味しています。
また、中国では、『考えがころころ変わって定まらないこと』としても使用されています。
『朝三暮四』の使い方/用例と例文
続いて、使い方/用例と例文についてご紹介してきます。
『朝三暮四の用例』
「朝三暮四と云も七ぞ、朝四暮三も七ぞ、名も七つ、本の芧(とち)の数も七ぞ」
-清原国賢書写本荘子抄
「朝(テウ)三暮(ボ)四の資(たすけ)に心有る人もがなと、身を苦しめたる有様」
ー太平記
「幕府の頽勢(たいせい)を建直さなければならないが、これも、堀田の意中は、朝三暮四、いつ豹変(ひょうへん)するかしれたものではない。」
-花の生涯
『朝三暮四の意味別の事例』
「目先の差別のみにこだわって、全体としての大きな詐術に気づかないこと」
「中身が半分残っている状態を、中身が半分も残っていると例え、残量を多く表現すること」
「面倒なことを先送りにすること」
「目の前の違いに囚われて、何も変わっていないこと」
『朝三暮四の例文』
「政治家は、施策が変わった様に見えても、実態は何も変わっていないことを行う、朝三暮四の徒のようだ」
「ギャンブルは朝三暮四のようでなるべく避けている」
『朝三暮四』の由来と成り立ち
東周時代、または春秋戦国時代の後半期に区分される時代であり『晋』が分裂した紀元前5世紀から『秦』が中国を統一する紀元前221年までの期間の故事に記載されていた言葉です。
最も古く記載されているのは『列子(れっし)』の『列禦寇(れつぎょこう)』に記載されている『黄帝篇(へん)』ですが、著者があやふやではっきり分かっておらず、実在の人物中で、存在がはっきりしていたのは『荘子』が一番古い著者となります。
『「列子」「黄帝篇(へん)」などの故事』
中国、宋(そう)に狙公(そこう)という人があり、自分の手飼いのサル(狙)の餌(えさ)を節約しようとして、サルに「朝三つ、夕方に四つ与えよう」といったら、サルは不平をいって大いに怒ったが、「それでは朝四つ、夕方三つにしよう」というと、サルはみな大喜びをした、と伝えられています。
このエピソードに続けて、「聖人の智(ち)を以(も)って愚衆を籠絡<(ろうらく)するさまは、狙公の智を以って衆狙を籠するが如(ごと)し」と続きます。
上記の故事から転じて、『目先の差別のみにこだわって、全体としての大きな詐術に気づかないこと』『うまい言葉で人をだますこと』のことを指すように用いられるようになります。