馬耳東風の意味と使い方・語源(由来)・対義語は?馬の耳に念仏との違いは何?馬の耳と東から吹く風、どこに接点があるの?と気になりますよね。関係性を見いだせない二つの単語がどういう経緯で合わさったのか、語源や由来を解説!馬耳東風と馬の耳に念仏の違いについても今回はわかりやすくまとめていきます♪
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そもそも馬耳東風の意味とは??
語源や由来を知る前にそもそもの意味を確認しておきましょう。
馬耳東風というのは他人の忠告や評判を素知らぬ顔で聞き流し、何もなかったかのような態度を取ることを言います。
簡単に言ってしまえば人の話を聞かないってことですね…
彼は上司の話すら馬耳東風とばかり聞き流している。
あからさまな馬耳東風然とした部下の態度に呆れてものも言えない。
彼はとてつもなく切羽詰まっていて馬耳東風な態度を取っているのかもしれない。
使い方としてはこんな感じですね!つまりは、悪気があろうとなかろうと人の忠告を右から左に流すような態度こそを馬耳東風と表現します。
馬耳東風の語源と由来について追及していこう!
馬耳東風というのはほとんど言葉通りの意味で、「東風」というのは東から吹く暖かい風つまりは「春風」のことを指します。「馬耳」というのはもちろん言葉通り「馬の耳」という意味です。でも、春風と馬の耳がどう関係あるの?という疑問が湧いてきますね。
人間は暖かい春が訪れる兆候である春風が吹けばこれ以上凍える思いをしなくて済むと喜びますが、馬の場合は違います。馬は季節に鈍感で、春風が耳を撫でようとも何も感じない動物なのです。
つまり、季節が変わろうとも何も感じない馬を例えに他人の意見に無関心な態度を取ることを「馬耳東風」と言うようになりました。
この言葉の元は中国の詩人「李白」が作ったと言われています。彼の書いた書物に「有如東風射馬耳」という言葉が出てきます。簡単に言ってしまえば「春風が馬の耳を撫でたようなものだ」ということです。
先ほどご説明したとおり、馬は季節の移り変わりに鈍感な生き物です。
それを人々に例え、彼がどれだけ素晴らしい詩を書いたとしても誰もその作品を評価してくれなかったという悔しさを表現し、言葉として使ったことが由来とされています。
馬耳東風と馬の耳に念仏との違いとは?
「馬耳東風」と「馬の耳に念仏」。両方馬の耳に関係した言葉で意味を混同してしまっている人もいるかと思いますが、少しニュアンスが違うのです。馬耳東風の意味は理解していただけだと思うので馬の耳に念仏の意味を説明しますね♪
馬の耳に念仏、まあこれもほとんど言葉通りのような感じがしますが、「どうせ馬に念仏を聴かせたとしてもありがたみどころか意味すら理解できないのだからいくら説き聞かせても無意味である」という意味です。まあつまり、念仏のありがたさを理解できないなんてただの愚か者だ!ということですね。
「馬耳東風」 =「他人の意見を気にもしないこと」
「馬の耳に念仏」=「どれだけ言い聞かせても価値が理解できず効果がない様」
つまり、意見を聞き入れないこと、その意見の価値を理解できないことといったニュアンスの違いがあります。
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